歴史-大内文化という言葉
山口市で歴史的なものとして語られるのが大内氏です。

(写真説明:大内氏館跡の案内板。この辺りがお屋敷だったのだ)
大内氏は平安時代に周防(今の山陽道付近)を治めた武将です。初代とされる大内盛房から始まり、9代目当主、大内弘世が山口に拠点をうつしたのだそうです。大内氏は山口では政治的な部分よりも寧ろ、文化的な意味合いで、よく名前が出てきます。

(写真説明:大内義隆の菩提寺龍福寺)
それは、弘世が京の都に上った時から始まったようです。優美で雅な都に心惹かれ、地形も似ていた山口に都をお手本とした街作りを始めました。
京の都にちなんだ名前を付けたり、碁盤の目のようになった道を作りました。

(写真説明:この辺りはほとんど碁盤の目に小路が交差しています。)
京都にそっくりな町にしようと華やかな生活をしました。他国との貿易で冨を得るだけでなく、文化や学問も学び、芸術にも力を入れていったのでした。
これらは代々の当主に引き継がれ、雪舟などの多くの文化人が山口に滞在したり、ザビエルを招き入れるなど、当時としては先端とも言える政治的動きをとっていました。
残念ながら、1551年頃に滅びてしまいましたが、その後、今の時代も大内文化という言葉は地域の文化を支え、語り継がれているのです。
政治家の演説や学校の先生の講義などには必ず"大内文化"の話が入りますし、学校の校歌には"大内文化"の言葉が入ったものが多いとも聞きます。山口市民の根底にはいつもある言葉と言ってもいいのでしょうね。
大内氏以降の山口で他に特筆すべき歴史的なものとしては、やはり維新の志士達の活躍と言えるでしょう。
その多くの志士達は主に毛利殿様のお膝元、萩出身者が多いのですが、山口には彼らゆかりの地や場所が多く残っていて、維新の息吹を感じる事ができます。
カテゴリー:文化と生活
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